ウブドを想う

熱帯の神々と精霊達の島であるバリ島は、シェーピースの伝記の題名の如くの「夢の景色」が 拡がっていて、実際、そんな南国の夢を見ていたのではないかと、日本の現実に戻ってきて 軽く思ってしまうのだ。

夢の景色

2006年の1月、私は、緑色の葉っぱを失った木々が寂しそうな、くすんだ冬の景色の景色から逃げ出して、初めてバリ島に行った。『神々の島』といわれる南国のバリ島は、『いつか行ってみたい場所』だったので、飛行機が関空の滑走路を離れて浮かび上がった瞬間から、どきどきしていた。

そして、数週間後に、あのトロピカル・ドリームな常夏の場所とは対照的な、日本の環境に戻ってみると、 日本は、なんだか妙に寂しい。 夜、聴こえてくるのは、道路を流れる車のタイヤの音。バリで耳慣れてしまった夜の野良犬の鳴き声や、トカゲの鳴き声…、人間以外の生き物の活動の気配の音が聞こえてこないのだ。同じ地球上だけど、バリと同じ現実世界ではないようで、 実際、そんな南国の夢を見ていたのかなと軽く思える位、日本の都市部は、コンクリートと人間でびっしりだなと思った。 自然の中での生活と、自然と隔絶された文明的生活、どちらで生きるかは、その人次第だけど、滞在中、幸運にも、ウブド近郊のそんな夢の景色に 移り住んだ作家さん達のお宅にお邪魔する機会があった。

ジャングルの中の孤独

夜は懐中電灯がないと遭難しそうなジャングルの中に、 周囲と同化するように建てられたかのような竹と木で出来た住居に、そのイタリア人のアーティストは住んでいた。 家のファブリック類も茶色のバティックで統一されており、そんな中で、たくさんの鮮やかな色彩の絵画が存在感を強めている。その絵は、数カ月前に亡くなった彼のバリ人の奥さんが描いたものだそうだ。彼の愛する人への想いで一杯になっているからなのか、それとも、彼女のスピリットは、彼と共に居るからのか、彼女の鮮やかな色彩は、過去のものではなく、現在に生きているかのようだった。  
  帰り際、玄関先に、畳んで置かれた金属製の車椅子が、場違いすぎて悲しくなってしまった。

旅人

渓谷を一望できる絶景な場所に建てられた ガウディの建物のような アーティスティックな仏人アーティストのお宅は、まさに彼の脳内のファンタスティック・ドリームワールドを現実世界に再構築したかのようで、 呆然としてしまった。 流木で作られた手すりや、タイヤのみで作られた椅子、 ガラスを埋め込んで模様をつくった なだらかな岩のような曲線の白い壁が、 斜めの大地の延長に存在していて 摩訶不思議な空間になっていた。 谷を渡ってきた心地よい風が遥か遠くから吹いてくるテラスで 絶景の景色を 呆然と眺めていた時に、私の心に、ふと、ある風が吹いた。 その風を察したかのように、尋ねられた。
「君は、本当に 日本に帰りたいのかい?
 旅をする事は、新しい物を見たり感じたり、新しい体験をすることだ。旅に出る前と帰ってきてからの自分を比べると、 その体験により必然的に価値観や感じ方が 変わるだろ?  しかし、周囲の人々は、ずっと日本に居ていつもと同じ生活をしているから、あいかわらず変わらないままだ。
 君は、インドに住んだり、こうしてバリに来たり、ユニークな体験をしている。はたして 周りとうまくなじめるのかな?」
「だから、ここに住む事に決めたの?」 と、答える代わりに尋ねてみた。
「さあ、、ずっと昔の事すぎて忘れたよ。。」
と、彼はサラリと視線を目の前に広がる夢の景色に戻した。

何かを選択する事は、 数ある選択肢から、 他の選択を放棄することだと思っているけれど、 彼の質問は、答えられない程 核心をついていて、 日本に居ると、 私が選択しなかった選択肢が、 代償を払え と 追い立ててくるような孤独な気分になってしまうときがあるのは、否定できない。